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代表 木村黒バック写真 コラム「組織の成長加速法」-第168回 組織の問題は社員ではなく、リーダーの思い込みによって創られる

 

創業17年目の53名の社員を抱えるIT企業のK社長からご相談をいただきました。K社長の他に2名の取締役がいらっしゃいました。M取締役が管轄する事業部は、ある業界にとっては無くてはならない高い技術をもっていて、その業界ではその名が知れ渡っていました。他社に比べても、技術的な優位があり、競争力が高い状態で、国内の名だたる企業からも継続して引き合いがありました。

 

その専門性の高さが売りであって、高度な技術を有している社員の人数は限られていました。そのため仕事をお断りすることもあったのです。利益率も高いため、この事業のトップであるM取締役は、社内のリソースをこの事業にもっとお金と人のリソースを集中すべきだとことある毎に員会では主張していました。

 

一方、もう一人のF取締役が管轄する事業は、特定の業種に特化することなく、依頼する企業の依頼に応じて、受託開発を行う部門でした。赤字と黒字をいったりきたりの状態が続いていました。

 

M取締役は、この利益率の低さをやり玉に挙げて、自分の部門へ社員を異動させるようにことあるごとに、K社長に迫ります。M取締役としては、自部門の社員達が、さばききれない量の仕事をしている状態を改善したい一心のことでもありました。

 

K社長は、両方の事業部制を維持すると決めていました。長く業界に携わっているK社長には、新規技術の台頭によって突然マーケットのトレンドが変わることを何度も経験していました。M取締役の事業部の活況ぶりには、K社長にも魅力的に映りましたが、長期的な事業を考えて、急成長は見込めないものの、受託開発部門を重視していたのです。

 

K社長は自社開発品を世に出すこと長年の目標としていました。F取締役も、元々は、K社長の夢には懐疑的な立場だったのですが、今では、F取締役もすっかり、自社開発製品を世に出すことを前提に、事業部の社員のリソース配分を考えて進めていました。

M取締役も、K社長とF取締役の目標を知ってはいましたが、自部門の奮闘して会社を支えている自負があり釈然としない思いを抱えていました。

また、M取締役は、もともとは、F取締役の部下でもあり、F取締役には面と向かって物を申しづらい状況で、M取締役は孤立感を深めていました。

 

そんな中、ある事件が起こります。M取締役の事業部の最大顧客が、競合会社に乗り換えたのです。事業部の売上げの25を失うことになりました。大幅な赤字が避けられない状況に陥ってしまったのです。

 

K社長からご相談があったのは、このタイミングでした。K社長は、M取締役の事業部では、人の育成が進まないことを問題視していました。K社長にしてみれば、最大顧客が他社に取られたことも、起こるべくして起こったと捉えていました。M取締役にあらゆる事が集中していて、核となる業務の移譲が進んでいなかったのです。

 


 

他社に乗り換えた最大顧客はM取締役が営業開拓した案件でした。このニュースは、M取締役にとっては、寝耳に水でした。あまりのショックで、その事件が起きた週末は寝込んでしまったそうです。

一方、冷静に分析すると、誰が見ても、こちら側に非があったのです。M取締役は最大顧客への窓口となっていました。ところが、顧客との接触も、半年以上一度もなかったのです。他社がつけいるスキどころか、諸手を挙げて献上したようなものでした。

多忙を理由に部下に任せっきりの状態だったのです。

 

この問題が生じてから、K社長もM取締役と事業部の運営状況を確認することになりました。蓋を開けてみると、M取締役の事業部の運営状態は、かなりまずい状態にありました。M取締役の事業部では、取締役が12ある案件のプロジェクト全てのプロジェクトマネージャーを兼任していたのです。

 

顧客企業から引き合いがあると、顧客折衝は、M取締役が行い、案件がある程度進むと、現場の社員に任せていくのです。M取締役の下には、4名の課長がいるのですが、課長とは名ばかりで、社歴が長くなった社員を引き留めるために、ポジションと良い待遇を与えるために昇進させたというのが本当のところ、実力が伴っていなかったのです。

 

4課長は、M取締役の言われるまま動くだけで、顧客からのクレームがあっても、右から左にM取締役に伝えるだけでした。何かある度に、M取締役はすぐに手一杯になっていました。案件の数が増えるに従い、この状況は悪化していて、M取締役は日々の業務をこなすことに忙殺されていたのです。

 

最大顧客の売上げがなくなることで、事業部の売上げの40%がなくなります。

業績の立て直しが急務でした。M取締役は、これまでにもまして、新規案件の対応に追われるようになりました。会社に泊まるようになり、社内の誰にも、見る見るやつれていく様子が分かります。

 

この状況下でのコンサルティングに対して、M取締役は当初は大変な抵抗を示していました。しかし、このままでは、M取締役自身、仕事を続けることに支障があることは、自分でもわかっていたのです。

 


 

K社長、M取締役、F取締役の3名に対するコンサルティングが始まりました。K社長は業界ではちょっとした有名人で、K社長の下で働きたいという技術者が勝手に集まってくるという、大変恵まれた環境にはあったのです。しかし、離職率は高く、入社した分、辞めるということ78年続いてる状態でした。

 

残っている社員は、技術の研鑚にとても魅力を感じている社員が残っていました。特にM取締役の事業部では、最先端の技術を常に導入するため、技術力を高めたいという技術者の意欲を満たし続けていたのです。

 

会社も、技術力向上のために、社内外の勉強会、講座への参加を積極的にサポートしていました。技術の蓄積、技術レベルの向上という点では、競合他社に優位性があり、その技術に携わっている人達の間では、ちょっとしたステータスでもあったようです。

この技術力の高さに目をつけていたのが、IT業界に特化しているヘッドハンター会社で、この会社で3年過ごすと、大企業に転職していくというのが既定路線のようになっていたのです。自動的に人が引き抜かれてしまう状態ができあがっていました。

ほぼその特定の知識がゼロの状態からでも、3年すると1人前になる仕組みが出来ていたのです。その結果、そこから1年すると、社内にある案件は大概対応できるようになっていきます。

すると、技術者達の中には、一定数、次を目指し始める人達がいました。「誰それさんも、またヘッドハンティング会社からまた電話が掛かってきたようだ」社内会議の度に、こんな話しがそこかしこで飛び交っているのでした。

 


 

コンサルティングの結果を結論からいうと、1年後、この会社は過去最高益を実現します。その後も、最高益を更新していきました。理由は、社員の定着率が高くなっていったのです。M取締役は、顧客担当の業務から外れて、顧客担当をする4名の部下の支援をするようになりました。

技術力が在る一定水域に到達したら、次なる課題を明確に設定したことがきかっけとなり定着率が上がると、途端に社内の生産力が積み上がっていったのです。

 

M取締役がボトルネックになる状態を回避できました。当初は、2年は掛かるだろうと思われてたのですが、当初の5分の1の期間で、この問題は解決していきました。その結果、新規受注案件の獲得が加速していきました。

なぜ、赤字に陥るはずだった事業部が急回復したかといえば、ただ一点です。

4課長の育成でした。

 

そもそもこの状況に陥ったのは、M取締役による部下育成がうまくいってんかったことが原因でした。M取締役には部下の育成に苦手意識が強く、一度も部下を育成経験の成功体験がなかったのです。

 

取締役なのに、育成経験がないことを社外の人ならば、ふつうに疑問に思うところですので、もう少し詳しくお話しましょう。

 

M取締役は、育成経験はあったのですが、M取締役の中では、失敗の連続だったのです。心血注いで育成したのに、全く効果を実感できないことがほとんどだったそうです。たまに、「少し変わってきたぞ」と感じると、ある日、「お話があります。」と言われて、会議室に入ると不穏な空気。そして、「実はあの・・・」といいながら、白い紙が出てくる。この光景が夢に出てくるようになったこともあったと教えてくれました。

最近では、連絡が来ないと思っていると、メールで、退職届けが送られてくることもあるとのことでした。

 

それでも尚、M取締役の事業部は、売上げを伸ばすことができたかというと、技術者の多くが敬遠する対人折衝を全て取り除き、その点をM取締役が一手に引き受けることにしたからです。

作業する人は増えたので、作業の内容が同じであれば、量が増えても、対応が可能だったというわけです。

 

事業運営上も、数社に売上げの80%を依存するいびつな構造となっていて、やがて立ちゆかなくなることは、M取締役も薄々感じてはいましたし、K社長は、このことをもっとも危惧していたのですが、それが現実のことになってしまいました。

 


 

今回は、M取締役の取り組みに限定してお話を続けます。

M取締役は、忙殺される中でも、具体的な手法をお伝えすると、宿題を一番早く片づけてくれました。理由は、気が進まないことだったからでした。(^O^)

理由はともかく、それが奏功して、イヤイヤながらも、進みは早かったのです。やり方はシンプルですから、ただその通り実践すれば、結果はすぐについてきます。

 

スタートして3ヶ月目の終わりに、M取締役から、電話がありました。比較的いつも冷静な方なのですが、興奮覚めやらぬ様子で「木村先生、○○が、商談に行ってくれました。(ヒヤリング)シートの内容が(自分でやるよりも)しっかりしてて、驚いてます。これ、すごいですね。」と。「まだまだ、これからですから、もっと変わって行きますよ。」もちろん、この取り組みを始めた方、全員ではありませんが、時々このように、電話で報告してくれる方がいます。

そして、私はいつも、同じように返答しています。

 

M取締役は、私に出会う前から、部下4名の課長にやってほしかったことを、M取締役に何度も何度も伝えていたつもりだったのです。しかし、実際には、4名の課長には、伝わっていなかったのです。4名の課長の中で3名の方に、直接お話しを伺うことができました。異口同音に、「私達がもっと成長して、M取締役の仕事を担えるようになれたらと思っています。」という旨の話しをしてくれていました。

 

せき止められた水が、勢いよく流れ出すように、滞っていたM取締役の業務の移管が4課長に一気に進んできました。M取締役が懸念していたのは、4課長が対人折衝を嫌がるだろうということでした。ところが、4課長は、M取締役のやり方を知らなかっただけで、現場レベルでは、日々小さな小さな交渉を繰り返ししていました。基礎力は育まれていたのです。

 

M取締役が、「これはレベルが高いこと」と4課長から遠ざけていた業務は、次のようなものでした。システム開発の依頼があった際に、顧客からの要望のヒヤリング、こちら側の状況を踏まえた提案、落としどころの設定等々でした。

基礎力十分な人には、具体的なやり方を教えるだけで、驚くほど簡単に、進んでいったのです。

 

こうしてM取締役の一人相撲が解消されていきました。

実際、このような問題の転換は、形の違いはもちろんありますが、構造的にはどの企業でも、見られることです。そして、何度も何度も企業内の様々な階層で繰り返されています。

 

リーダー側と社員とのギャップが何かを明らかにして、それを解消するだけのことなのですが、面白いように、同じ方式で、解消していきます。

 

裏を返せば、この構造を知り、具体的な手法を手にしてしまえば、組織に起こる問題の解消を、組織内で完結できるようになるのです。

これは、理論レベルの話しではなく、どこの企業においても、相手が人である限り、再現性をもって実現できることです。

 

課長の育成、と聞いて、「それなら数ヶ月で結果が変わりそうだな」と考える人は、世の中に多くありません。その理由は、成功体験がないからです。そして、その本当の理由は、単にやり方を知らないからです。

 

F取締役の事業部はどのようにして、改善できたのか?これも気になるところですがこれはまた別の機会にお話しましょう。