コラム「組織の成長加速法」-第224回 創業60億企業の社長が直面した“成長停滞”の正体――誰も知らない組織の限界
先日、ある60億円規模の企業の創業社長とお会いしました。
今は現場の采配を役員に委ね、ひとつ距離を置いた経営をされているとのこと。ソファにゆったり腰かけ、創業時の熱狂から現在までを語ってくださいました。
そして話が一段落したタイミングで、冷めかけたコーヒーにミルクをそっと注ぎながら、社長はぽつりと呟きました。
「ですがねぇ…最近、伸び悩んでるんです」
かつては社長自らが檄を飛ばし、二桁成長が当たり前だった時代。それが今は、指示を出しても反応が鈍い役員、目立って高止まりしている新卒の離職率――。社長の表情からは、危機感が滲み出ていました。
実はこのご相談のきっかけとなったのが「新卒社員の3年以内離職率が、過去5年のうち複数年でほぼ100%に近かったこと」だったのです。
「このままでは会社の未来が揺らいでしまう」
そう感じた社長は、半年前、人事部長にある指示を出しました。
「現場の本音を、部長配下の若手社員を使って、率直に聞き出してほしい」
数週間後、社長の手元に上がってきた報告書を見た瞬間――
手が震え、怒りに震えたといいます。
そして、その怒りを込めて報告書を机に投げつけたとき、ふと目に入ったのが、ソファに浅く腰掛け、一点を見つめたまま動かない人事部長の姿でした。
その姿に、社長はハッとしたのです。
「自分のやり方が、部長を動けなくしてしまったのかもしれない」
「もはや、自分ひとりでは解決できない段階にきているのかもしれない」
そう語る姿からは、長年の経験を持つ経営者だからこそ抱く、重たい“責任感”と“痛み”が滲んでいました。
若手社員はなぜ、すぐに辞めてしまうのか?
私は年間を通して、入社間もない若手社員たちと個別面談をしています。
中には、「本当に20代か?」と驚くほど視座の高い若者もいます。
ですが、そういう人は少数派。多くは、自分の将来や社会の変化に無関心で、ただ目の前のことに流されている印象です。
これは私の子どもを見ていても感じることですが、現代の学生が「新聞を読み漁る」「哲学書に没頭する」「生き方を朝まで語り合う」などというのは、ほぼ“絶滅種”です。
目の前にいる若者たちは、最終学歴が高校であれ、専門学校や大学であれ、「つい昨日まで学生だった人」なのです。
「学生時代のルール」で社会は通用しない
彼らが16年間慣れ親しんできた「学生時代のルール」とは、テストの点数や友人との関係の中で「いかに優位に立つか」が判断軸でした。これを、私は「学生時代のゲームルール」と呼んでいます。
一方、社会にはまったく別の「社会人のゲームルール」が存在します。
このルールでは、成果を出す、信頼を得る、他者と協働する…といった全く異なる基準で「得点」や「アウト」が決まるのです。
社会人のゲームルールは、先人たちの成功・失敗の歴史の中から紡ぎ出された“原理原則”です。
このルールを知らなければ、どんなにまじめに働いても、成果が出ない。下手をすれば、誰かの「甘い囁き」に引っかかって、間違った選択をしてしまう。
なぜ、最近の若手はすぐに辞めてしまうのか?
それは、SNSやスマホによって「甘い囁き」の量が、かつてないほど増えているからです。
学生時代のルールのまま、右手に算盤、左手にSNS――
その姿を、渋沢栄一はどう見るでしょうか?
社会人のルールを「知っている」と「できる」は違う
私は面談の中で、社会人のゲームルール“企業版”を伝えています。
すると、それを理解し、行動に移した若手は、見違えるように成長し始めます。
ただし、ここで重要なことがあります。
社会人のルールは、「知識」ではなく「反射」にならなければ意味がない。
ラジオ体操第一を言葉で説明するのは難しい。けれど音楽が流れれば、自然と体が動く――。
このように、無意識に出せるレベルで染み込んで初めて、ルールを“身につけた”と言えるのです。
成長が止まったベテラン社員にも同じことが言える
この「社会人のルール」を知らずに企業で働いているのは、若手だけではありません。
20代後半、30代、40代…そして60代、70代でさえ――
ルールを知らないまま“属しているだけ”の社員は数多くいます。
そうした人たちは、なぜ成果が出せないのか。
それは、自らの思考や行動の判断基準が、「成果につながるルール」とずれているからです。
結びに
もし、御社の若手離職率が高止まりしているのであれば――
それは単なる“若者の問題”ではありません。
社内に「社会人のゲームルール」を教え、染み込ませる仕組みがないことが問題なのです。
ルールを知らなければ、人は正しい行動が取れません。
そしてルールは、「言って聞かせる」ものではなく、「共に実践する」中で身につくものです。
組織の未来を変えるのは、彼ら若手の“やる気”ではありません。
社会人として戦うためのルールを、誰が、どう教えていくか。
ここに、本質的な打ち手があります。