コラム「組織の成長加速法」-第227回 成果が出ない会社は、こうして作られる──9割の経営者が無自覚な「役割不在」の代償とは?
「部門長のレベルアップが急務でして…」
「木村先生、様々な取組を続けてきて、ある程度規模を拡大することができました。ただ……そろそろ、幹部社員を次のレベルに引き上げたいのです」
そう語ったのは、上場を目指してらっしゃる企業の経営者。創業15年、組織の節目を迎えたタイミングでのご相談でした。
その方をご紹介くださったのが、かつて私が支援した企業の経営者の方。こちらは、すでに上場を果たされました。その社長に転機を伺うと、こんな言葉が返ってきました。
「うちが変わったのは、役割を明確にした“あの時”からだった」
ここからが、本題です。
組織と集団の違いとは?
組織と集団。この二つの違いを明確に答えられる方は案外少ないかもしれません。実はこの認識の違いが、成長企業が“停滞企業”に変わる境目となります。
組織とは、成果を生み出す仕組みをもった集団。一方で、単に人が集まっているだけでは、それは組織ではなく「烏合の衆」となってしまいます。
「人数はいるけれど、向かう方向がバラバラ」「仲はいいけれど、前に進まない」――そんな状態に陥っている組織は、実は“組織”ではなく、ただの“集団”かもしれません。
「役割」が組織を組織たらしめる
本当の意味での「組織」とは、明確な役割をもった個人たちの集まりです。集団が目的意識なく動けば、ただの“動力の無駄遣い”。
役割があるからこそ、自分の行動がどこにどう貢献しているかを実感できます。
「一人ひとりが、それぞれの持ち場で責任を果たす」この状態が整った時、組織は自律し、加速するように動き出します。反対に、役割が曖昧なままでは、誰もが他人任せになってしまいます。
チームにも、部門にも、役割はある
営業チームは売上を上げる、経理は数字で経営を支える、総務は環境整備で生産性を高める――これは“理想論”ではありません。
各部門が何を目的として存在しているのか、それが明文化されていないと、部門間の連携もバラバラになります。
「うちは成果が出ないんです」そう語る企業の多くは、実はこの“部門の役割不在”が原因です。どこまでが自分たちの守備範囲で、どこからが他部門の領域なのか。これが曖昧だと、責任の押し付け合いが始まってしまいます。
個人の「役割」も、見える化されているか?
部門に役割があるのと同じく、社員一人ひとりにも役割があります。ところが意外にも、これが明確でない会社は多い。
営業部の○○さんは何を期待されているのか? 経理の△△さんの役割は何か?「日々の業務をこなすこと」ではなく、「どう貢献するか」を言語化できていなければ、本人も評価もぼやけてしまいます。
「うちの社員、自走しないんです…」という声が上がるとき、まず疑うべきは、“役割の曖昧さ”です。
表面的な成果だけが「役割」ではない
役割というと、営業成績やプロジェクトの達成率といった“数値”ばかりに目が行きがちですが、本当の役割には“価値観”の体現も含まれます。
企業理念、行動指針、バリュー――これらは単なるスローガンではなく、社員が仕事を通して体現するべき「行動の基準」です。
“売上は上げているけど態度が悪い”“スキルは高いが協調性がない”――これでは組織としての力は育ちません。成果と価値観、両方を含めてこそ、真の役割です。
「役割を知らない社員」が組織を崩す
どんなに立派なビジョンがあっても、理念があっても、最小単位である“個人”が自分の役割を誤解していては、組織は前に進みません。
「私は言われたことをやっています」
「上からの指示がないと動けません」
こうした声が現場に蔓延しているとすれば、それは“役割の浸透不足”のサインです。
業績が停滞している企業の多くで見られるのが、まさにこの“無自覚な役割の誤認”。社員が“何のために働いているのか”が、見えていないのです。
成果を出す組織の「共通項」
成長している企業には、共通点があります。それは――全社員が「自分の役割」を自覚し、それを実践していること。
これができていないと、施策や制度をどれだけ導入しても、効果は限定的です。
組織の歯車がかみ合い、連動して成果が出るには、まず一人ひとりが自分の“持ち場”を全うすることが不可欠です。いわば、組織成果の“原動力”は、個人の役割実行にあるのです。
ただの集団から、成果の出る組織へ
もし、個人の役割が定まっていないとしたら――その組織は、「ただ人がいるだけの集団」にすぎません。
部署もある、会議もある、報告書も出ている。けれど結果が出ない。これは、構造ではなく「役割の機能不全」が起こっている証です。
個々の社員が、目標ではなく“役割”を軸に行動する組織。それが、成果を生む「本物の組織」です。
さて、御社ではいかがでしょうか?
社員一人ひとりの“役割”、明確になっていますか? そして、それは日々実践されていますか?